5章 復活論

 

 

第1節         復活

 

ルカの福音書第960節より、イエスは、「死人を葬ることは死人に任せておくがよい」と言われた。ここでイエスの好み言には、生と死に対して、2つの意味がある。1つ目の意味は、肉身が生理的な機能を停止する死である。これに対する生とは、生理的な機能を維持している状態である。2つ目の意味は、神の主管圏を離れ、サタンの主管圏に落ちることである。これに対する生とは、神の主管圏において、神のみ言どおりに活動している状態である。

 

神は本来、人間が堕落しなくても、老衰すれば、生理的機能が停止するように創造され、その霊人体が無形世界へ行って永遠に生きられるように創造された。堕落による死とは、肉身の死ではなく、アダムとエバが善悪の果をとって食べることによってサタンの主管兼に落ちたことを意味する。復活とは、人間が堕落によってもたらされた死、すなわち、サタンの主管圏に落ちた立場から、復帰摂理によって神の直接主管圏に復帰することである。

 

アダムとエバは、善悪の果をとって食べて堕落したが、外形的には何の異変もなかった。ゆえに、堕落人間の復活は外形上何の変化も起きない。復活とは、霊人体に変化が起き、肉身もサタンの住まいから神の宮へと聖化される。

 

 

第2節        復活摂理

 

復活摂理は創造原理によって摂理される。まず、後世の人間たちは、昔の預言者や義人が築きあげた心情的な基台によって、復活摂理の時代的な恵沢を受けるようになる。次に、復活摂理のためのみ言を、人間が自分の責任分担として信じ、実践して初めて復活摂理が成就するようになっている。そして、霊人体は、地上の肉身生活を通して、復活するようになっている。さらに、復活摂理は、摂理機関の三段階を経て完成するようになっている。

 

アダムからアブラハムまでの2000年は、復帰其台摂理時代という。アブラハムからイエスまでの2000年を復活摂理時代と言い、肉身を脱げば、すなわち、死ぬと霊人体は霊形体級の霊界に行って生きるようになる。イエスから再臨主が降誕するまでの2000年は、長成復活摂理時代と言い、肉身を脱いだ霊人体は、生命体級の霊界へ行って生きるようになる。再臨主によって復活摂理が完成する時代を、完成復活摂理時代という。死んだ人間は、霊人体となって精霊体級の霊界である、天上天国で生きるようになる。

 

地上で完成できずに肉身を脱いだ霊人たちの完成は、地上に再臨して、自分たちが完成できなかった使命部分を、地上人たちに協助することにより、地上人たちの肉身を通して成し遂げられる。

 

霊人たちは、自分が信じていた宗教と同じ宗教の信徒を選んで、再臨し、その信徒と同様の恵沢を受ける。例えば、キリスト教徒の霊人はキリスト教徒を、仏教徒の霊人は仏教徒を選んで再臨する。何の進行も持たないが良心的に生きた霊人は、地上の善人を選んで、その恵沢を受ける。悪霊人たちは、地上人にその蕩減として、災難を起こし、地上人がその災難を乗り越えた時に、再臨復活の恵沢を受ける。

 

地上で使命を完遂できずに他界した霊人たちは、各々自分と同じ使命をもった同型の地上人に再臨して協助する。その地上人は、自分自身の使命と同時に、協助する霊人の使命も代理に成し遂げる。このようになると、その地上人は、協助する霊人の生前の名前で呼ばれることがある。

 

 

第3節        再臨復活による宗教統一

 

イエスの再臨期には、楽園にいる霊人たちは地上人たちに再臨協助して、地上人たちは再臨主の前に出て、み旨のために献身せざる負えなくなる。

 

キリスト教で待ち望んでいた再臨のイエスは、他宗教において再臨すると伝えられていた中心人物である。すべての宗教は、キリスト教を中心として統一される。

 

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