3章 人類歴史の終末論

 

 

第1節      神の創造目的と人間の堕落

 

人間は、神の心情とその目的を知り、神の意志に従って生活することにより、個性完成する。アダムとエバが堕落することなく個性完成し、善の子女を繁殖して、罪のない家庭・社会を作ったならば、1つの父母を中心とした大家族社会が形成されていた。神の創造目的が実現した場所が地上天国である。しかし、人間は堕落し、サタンと一体化したため、堕落性を帯びるようになった。この堕落性を持った人間たちが悪の子女を繁殖し、悪の家庭・社会、そして、悪の世界を造った。これが、今現在の地上地獄であり、サタン主権の世界である。つまり、この世は、地上地獄であり、サタン主権の世界である。

 

 

第2節      救いの摂理

 

神が喜びを得るために創造なさった善の世界が、人間の堕落により、悲しみに満ちた罪悪世界となった。これが永続するならば、神は創造に失敗した無能な神になってしまうため、堕落人間を必ず救わなければならない。堕落人間を救うということは、罪のない、堕落性のない清い人間にまで、戻すことである。救いの摂理を復帰摂理という。

 

復帰節理の目的は、罪のない地上天国をつくることである。人類歴史は、堕落人間を救い、地上地獄を創造本然の地上天国に復帰させるための摂理歴史である。

 

 

第3節      終末

 

サタン主権の地上地獄は、再臨のイエス・キリストの降臨を転換点として、神主権の創造理想世界に転換される時代を迎える。この時代を終末という。

 

 

第4節      終末と現世

 

神が復帰節理の目的として立て、それを成就威容として建てられた三大祝福が復帰されていく現象から、現代が週末であるといえる。

 

第一祝福は、個性を完成することであり、堕落人間の心霊が復帰されていくことから、本心の自由を復帰している歴史的な帰趨を見ることができる。さらに、創造本然の価値性と本性の愛が復帰していく事実より、現代は個性を完成することができる終末に入っている事実を知ることができる。

 

第二祝福は、善主権の家庭・社会・世界を創造することである。歴史的な趨勢は、キリスト教の中心であるイエス・キリストを中心として、民族すべてが、同じ兄弟の立場に立つようになった。現代は、神側の民主主義とサタン側の共産主義世界に分立され、対立している。

 

第三祝福は、被造世界に対する主管性を持つことである。内的真理を追求する宗教、哲学、倫理の発展によって、堕落人間の心霊は漸次開発され明るくなってきている。外的真理を追求する科学も、高度に発達し、安楽な生活が送れるようになってきている。以上より、第三祝福が復帰されているといえる。

 

このように、神の三大祝福が復帰されていることから、現代は終末であることは否定できない。

 

 

第5節  終末と新しいみ言と我々の姿勢

 

真理においては、内的無知を打開する宗教・哲学・倫理による内的真理と、外的な無知を打開する科学による外的真理の2つの側面がある。今日の知性人たちに真理を理解させるためには、より高次の内容と、科学的な表現方法によらなければならない。

 

新しい時代の摂理は古い時代の環境の中で芽生えて成長するため、その時代に対して対立的なものとして現れる。例えば、イエスは、旧約律法主義者たちにとって、異端者の姿をして現れたため、ユダヤ人たちの迫害を受け、殺害されてしまった。

 

終末を迎えている現代人は、まず、謙虚な心を持って行う祈りを通じて、神霊的なものを感得できるよう努力しなければならない。そして、古い風習にこだわらず、再臨のイエスキリストに侍って、新しい真理を探し求めなければならない。

 

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