浄土真宗親鸞会での歩み

 

僕は、統一教会から離れている間、浄土真宗親鸞会という仏教の団体で仏教を学んでいました。大学で、歎異抄研究会というサークルに勧誘されました。もともと哲学には興味があったので、行ってみました。行ったら、サークルではなく浄土真宗親鸞会で、仏教を学ぶところでした。

 

最初は宗教とか仏教とは言わずに、合宿に何度も参加して慣れてきたころに、その団体は浄土真宗親鸞会で仏教を学ぶところであることを明かされました。統一原理はすべての宗教を統一した宗教なので、仏教は統一原理の一部ということで、きっと神様が離れている間にせめて真理の一部でも学んでおきなさいと僕を導いたのだと思いました。それで、親鸞会に入り、仏教を学ぶことにしました。

 

親鸞会では、人間は、誰でも、死ねば地獄に行くと説きます。でも信心決定して、絶対の幸福になれば、極楽へ行けます。信心決定とは、阿弥陀仏に出会うことです。統一原理では、各宗教に出てくる神や仏はすべて1人の神様と説きます。だから、浄土真宗で出てくる阿弥陀仏は、実は、二性性相の神様なのです。極楽とは天国のことです。阿弥陀仏に出会うと幸福になるのですが、親鸞会では、この幸福を絶対の幸福とよびます。親鸞会では、信心決定して絶対の幸福になることが人生の目的です。そして、阿弥陀仏が人間を気の遠くなるほどの長い時の間、極楽へ導こうと待ち続けているのです。統一原理でも、6000年の間、神様が人間を探し続けていたと説くので、まさにこのことだと思います。

 

親鸞会の教祖である高森顕徹先生が世界で唯一絶対の幸福になられた人だけど、その信心決定した時の話を聞くと万物復帰をしている時の神体験に似ていました。高森先生は、自分は地獄しか行き場がないと思って、暗い心になっていたところを、自分を救うために長い時の間待ち続けていた阿弥陀仏の悲しみの心が伝わり、阿弥陀仏に申し訳なく思い涙が出てきたということです。万物復帰でも、実績が上がらずに、自分を救おうと待ち続けている神様の悲しみの心が伝わり、神様に申し訳なく思い涙が出てきます。

 

このような体験をするためには、親鸞会では、宿善を積む必要があります。宿善は、財施、つまり献金、破邪顕正、つまり伝道をすることで積まれます。蕩減条件も献金や伝道をすることで積まれます。僕は、蕩減条件を積むつもりで、財施と破邪顕正をしていました。

 

絶対の幸福になっても煩悩はなくなりません。煩悩とは、つまり、堕落性のことです。だから、絶対の幸福とは個性完成のための通過点だと思いました。つまり、親鸞会では神体験が人生の目的だけど、統一教会ではそこからさらに、個性完成を目指します。

 

親鸞会では講師に何でも報告して、講師の指示を仰ぐように言われていました。僕は講師をアベルとして、指示を仰いでいました。

 

親鸞会での生活が充実していたときに、ある女性と恋に落ちました。親鸞会も恋愛禁止だけど、結婚まで、話が進みました。いつかは統一教会に戻ってお父様が選んだ相手と祝福を受けて結婚するつもりだったから、かなり葛藤しました。そんなときあるサイトを見つけました。合同結婚式への招待状というサイトです。

 

このサイトで、婚約中ならば自分で選んだ相手と祝福が受けられるということです。だから、彼女と婚約しました。でも、親鸞会では統一教会のことを恥ずべき邪教と言っており、彼女に統一教会の祝福を受けようという話をしたら、親鸞会にこそ真実があると主張して、家族にも連絡を入れられ、反対牧師に拉致・監禁されました。でも、何とか振り切りました。

 

後で親鸞会のことを調べたら、親鸞会はカルトと呼ばれており、親鸞会被害者家族の会まであります。さらに、脱会者の人が開設した批判サイトもあります。これらのサイトから親鸞会の問題点と仏教は不完全な教えであり、統一原理はその不完全な部分を埋めた教えであることを彼女に伝えて説得したいです。そして、お世話になった高森先生や講師の方も復帰したいです。

 

 

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